たお
久々に無為自然思想に着目している。
人はみな、自然に逆らおうとしているのではないか?
ありのままの自分でなく、作った自分、作為的な自分を演じているのではないか?
という問題提起。
個人的に「自然なあり方」とは、
遺伝子に逆らわず、無為的に生きることだ。
人にはそれぞれ多様性がある。
それを逆らわず受け入れ、「活かし」て生きること。
自分の得意を活かし、苦手を認め、協力し合う、そんな社会が理想的である。
だが、日本の社会では、自分らしく生きることは案外難しい。
海外よりも、同調圧力や画一化、多様性を認めない傾向は強い。
本来、人それぞれに「自然」な生き方やあり方がある。
それは、「遺伝子」が1人1人違うように。
それぞれの人に特徴や性格が「自然」に現れるのは「遺伝子」のおかげである。
人によって家庭環境が違うのは、両親や親戚の「遺伝子」が「自然」にその家庭環境を作るからだ。
生き物である以上「遺伝子」とは切っても切れない関係があり、そこには必ず回り回って「自然の摂理」が働く。
元を辿れば、「自然の摂理」とは、宇宙のことだ。
そして、太陽系、地球、生き物、人類(種)と、必ず互いに影響を及ぼしている。
人類はこの「自然の摂理」のなかで淘汰されず、人類という種を絶やさないために「遺伝子」を残し続けた。
絶滅しなかった理由は、環境に順応できる「遺伝子」を持っていた。それだけである。
人間は、そんな稀有な「遺伝子」のおかげで奇跡でも何でもなく「自然」に生き残ることができた。
やがて、現代人類は過酷な自然環境を乗り越え、「自分たちが作った社会」こそが「生きる環境」になった。
本来十分自然環境にたくさんあったのに、新しい森林を植えて人口森林を作る「エコ社会」や、
本来汚れていなかった地球を綺麗にしようと恥じらいなく「環境問題」として取り上げる社会。
人が作った環境に「人」が生きるという状況。
一見当たり前かもしれないが、現代人にとって今の生きる環境とは、「人間が作り出した社会」という「歪な自然環境」と言える。
我々現代人は、自然や宇宙の摂理を無視し、一方的な人類目線を続ける「病んだ社会」を生きている。
そして、この「歪な社会」が正しいと教えこまれ、社会に順応しようと、自分らしさを殺しながら、生きる「不自然」な人達。
環境に順応する、という人間最大の長所の使い道は別にある。
歪な社会に順応しなくていい。というより、できない。社会に向けて自分を作ってばかりになる。そもそも順応しようとすることが、「自然」ではない。
ヒトは、「遺伝子」によって人間として生まれ、同時に一人一人多様性(違い)を持っている。クローンでない限り。
「遺伝子に任せ、無為に生きればいい。」
「宇宙の摂理に根ざした精神環境」の中で「遺伝子に身を任せた状態」こそが「自然なあり方」であり、「自然な生き方」である。
そこで、人類の稀有な順応能力も「自然」に発揮される。